「隣人を愛せる人に」  03−10−19
              ルカ10:25〜37

 「隣人を自分のように愛しなさい。」この聖書の言葉を人間が身に付けられたら、
素晴らしいことです。しかし、それがなかなか身に付かず、実行できないのです。
実行できない自分に悩んだり、出来ないことを開き直ることが多いのです。
 主イエスの所に来た律法の専門家もそうでした。隣人を愛すことの大切さを
知っていましたが、「それを実行しなさい」と主イエスから言われた時に、自分を
正当化しようとしました。隣人を愛せないでいる自分をよく知っていたからです。

 その時主は、強盗に襲われて倒れていた人を助けた「よいサマリア人」の話を
されたのです。倒れている人を助けるべきことは、律法の専門家もよく分かっている
ことです。それでは、どうしてこの話をされたのでしょうか。主は、助けられた者に
自分を重ねることを促します。倒れているのは私たちなのです。隣人を愛せない、
隣人が分からないというのなら、まず自分を愛してくれた隣人のことを思い起こす
のです。自分が愛されていることを忘れたり、疑っている者は、人を愛することが
できないからです。

 「よいサマリヤ人のようになろう。」子どもの時には、そのようにこの話を聞いて
いました。しかし大人になるにつれ、それができない自分の姿に何度も出会います。
そんな私たちにサマリア人の話は、新たな響きを持って迫ってくるのです。
倒れている人に自分を重ねた時に、自分に歩みより、支え、助けてくださった
主イエスを思い起こします。神に背き、罪を抱える私たちは、主から見過ごしに
されてもしかたがない者でした。隣人を愛することさえままならない私たちです。

 しかし主は、そんな自分の前を通り過ぎてしまうのではなく、救うために
歩み寄ってくださいました。

 サマリア人のような主イエスの愛を、私たちがはっきり思い起こす話として、
響いてきます。
 この主の愛に、励まされ、進む力を与えられます。
この愛を味わっているゆえに、「行って同じようにしなさい」との言葉を聞いて、
一歩踏み出せるのです。